堂本秋次の書斎

【ラブクラフト】第2回 『クトゥルフの呼び声(The Call of Cthulhu)』に見る『ラブクラフトの誘い』

ラブクラフトと言えばクトゥルフ神話、クトゥルフ神話と言えばまずは『クトゥルフの呼び声』と言っても過言ではありません。ラブクラフトが著した記念碑的作品とも言われている本作は、しかしラブクラフトの独特の文体のためにある種読み難い作品でもあります。それでも自分がラブクラフトの短編を最初に紹介するなら、この本以外から始めることは考えられません。それだけ物語には魅力があり、そして後々の世界観に繋がる基軸ともなっているのです。

クトゥルフの呼び声 ラブクラフト傑作集

●執筆者・堂本氏の著作『クトゥルフの呼び声 ラブクラフト傑作集』
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あらすじ

大叔父の遺品を整理していた主人公は、大叔父が熱を上げて研究していたらしい『あること』に不信感を抱きます。大叔父は、芸術家を名乗る青年にたぶらかされてしまい、全く価値のないものに時間とお金をかけてのめり込むようになってしまったのではないか。そう考えた主人公は大叔父の研究成果を辿る中でその内容を少しずつ明らかにしていくのですが、やがて『ある手がかり』を得たことにより、大叔父の謎の死の真相や己に近づく脅威に肉薄することとなるのです。

以上のようにあらすじらしいものを書くことはできますが、クトゥルフの呼び声(『クトゥルーの呼び声』とも)の要約は困難を極めます。物語の全てが重要であり、物語の全てが事件の核心に関わっているからです。要約不能の物語というだけで奇書らしさが存分に感じられますが、以下では実際にどういった点が独特なのかについて見ていきましょう。

誰にも真似できない狂気の文体

どんな文豪についても、その文体を模倣することは困難を極めます。それは、文豪たちは自分の文体やスタイルを確立していて、それは本人が発揮するからこそ価値のあるものになっているからです。それを前提としてもなお、ラブクラフトの文体は独特と言って過言ではありません。

日本人で喩えるなら夢野久作や小栗虫太郎のような、話題があちこちに変遷する文体。今、自分が何を読まされているのかが途中で分からなくなってしまう、ある種幻惑的な文章。読者の知識量や教養を試すような、芸術的巨匠や作品への言及の数々。それと同等に扱われる、名も明らかでない神らしい『何か』の存在。その文章を理解できないことが正常なのか、それとも理解されることはそもそも望まれていないのか。ラブクラフトの文章は、そういった不思議な魅力に満ちているのです。

英語そのものが分かりにくいということはほとんどなく、単語のレベルが極端に高いということもありません。ただ、一文が非常に長かったり、文章を解釈する上での手がかりが少なかったりといったようなところもあり、全体としてはなかなか難解です。しかし、狂信者集団の残忍さや、最後に登場する『大いなる何か』の迫力など、その文章力、表現力はまさに巨匠の域。どこからが現実でどこからがフィクションなのか、その境界線を曖昧にするような作風は、ラブクラフトが持つ特に強い魅力と言っても良いでしょう。

英語のまま読む場合のこと

前述したように、英語のまま『クトゥルフの呼び声』を読もうとすると、最初のうちは挫折してしまうかもしれません。ある程度英語力に自信があるという人でも、『何が書いてあるのか分からない』と感じてしまうこともある意味では当然と言えます。

The Call of Cthulhu (Prohyptikon Value Classics)

しかし、この物語は『主人公』の手記という形を取っています。また、全部で三章から成る物語ではありますが、全体としてはシャーロック・ホームズの短編程度の長さです。そのため、この主人公が何を見て何を経験したのか、そして何を知ってしまったのか、それを時間を掛けてゆっくりと読み解く楽しさもあるでしょう。

ラブクラフトのその他の短編にはもっと短いものもあり、もっと読みやすいものも珍しくありません。そういった短編から入っても良いのですが、ラブクラフトの狂気や魅力を感じられる入門編としてオススメしたいのはこの『クトゥルフの呼び声』です。その呼び声は、あなたをクトゥルフ神話の世界、ひいてはラブクラフトが創造した(あるいは体験した)非世界的世界へのいざないでもあるのです。

翻訳を読むということ

この物語の翻訳は、原文に寄せれば『読み難い』文章になってしまいますが、『読みやすい』文章として翻訳することが難しいわけではありません。冗長な一文を数個のセンテンスに区切るだけで、かなり読みやすい翻訳になるでしょう。このため、『読みやすい』ことを売りにしている翻訳と、『原文に近い』ことを売りにしている翻訳ではかなりの差が出ることが考えられます。

翻訳を読み比べるときには、そういった点に注目すると翻訳者の意図も分かって面白いと思えるかもしれません。さらに原文と比較すると、翻訳者がその文章をなぞったときに何を『視た』のかが分かってきます。ラブクラフトの世界から感じるものが、翻訳者とあなたで同じであるとは限りません。もしかするとあなたの方が、翻訳者よりも深くラブクラフトの世界の闇を覗いているのに、あなたはまだそれに気付いていないのかもしれないのです。

深淵を覗く者は、己もまた深淵に覗かれている。そう言ったのはニーチェですが、もしもあなたが『深淵に覗かれている』ことに気付いたなら、そのときには既に手遅れでしょう。呼び声はもうあなたの耳元近くまで忍び寄っていますし、深淵の闇は既にあなたの退路を塞いでいます。一度ラブクラフトの世界に魅入られたなら、深淵と折り合いをつけていく術を身につけなければいけません。それがたとえ、『狂気に身を委ねる』ということであっても。

●執筆者・堂本氏の著作『クトゥルフの呼び声 ラブクラフト傑作集』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07HHP1TGK
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堂本秋次

堂本秋次

実務翻訳者、プロマジシャン。英検1級、国連英検A級、TOEIC965を保有。大学時代は、ネイティブスピーカーの教授の指導のもと、言語学を専攻していた。医学、自然科学等を専門とする多芸多才な翻訳者。 詳しいプロフィール / 記事一覧

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