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【シャーロック・ホームズ】第7回 思わず唇が歪む秀逸な物語 『The Man with the Twisted Lip』

シャーロック・ホームズの短編を紹介する本コーナーも、ついに6冊目の紹介となりました。今日は、個人的にとても好きな短編、『The Man with the Twisted Lip』を紹介します。拙訳では『歪んだ唇の男』となっていますが、『唇のねじれた男』というタイトルの方が一般的かもしれません。

歪んだ唇の男 シャーロックホームズ傑作集

プロット、言葉遊び、そしてシャーロキアンとして考えるべき謎。あらゆる面白さが詰め込まれて、それでもコンパクトにまとまっている本作は、最初の一冊としてもぜひオススメしたい一編です。

あらすじ

医者としてのキャリアをスタートさせたワトソンのもとに、妻の友人である女性から『夫をアヘン窟から連れ戻して欲しい』という依頼を受けたワトソン。アヘン窟とはアヘンを吸うための施設で、不健康が充満しているかのような場所です。

しかしそこでホームズと出会うワトソン。すわ、ついにアヘンを吸い始めたのかと思ったワトソンですが、ホームズがそのアヘン窟に居たは全く別の人物から別の依頼を受けていたからで、自分の探し人を家まで送った後、ワトソンはホームズの方の事件を手伝うことにするのですが……。

ホームズも手こずる難事件に意外な結末。あなたはどの時点で結末を予測することができるでしょうか。

冒頭こそ少しイレギュラーな始まり方になっていますが、この物語はホームズが受けた人捜しの依頼をおなじみのコンビが解明していくという流れになっています。こういった『人捜し』の依頼は、その人物がどこに行ってしまったのか、その人物に何が起こったのかといったところを解き明かしていくのが面白く、ついつい先へ先へと読む手が止まらないもの。謎が謎を呼ぶ、ちょっと不思議な物語。それに用意された意外な結末を、ぜひお楽しみください。

プロットと言葉遊びの妙

個人的にこの短編が秀逸だと思うのは、そのプロットの巧みさにあります。物語としてさりげなく提示される、物語の真相に関連した読者だけに伝わる伏線には舌を巻くばかりです。プロットとしての伏線の提示ということで、「こんな伏線の張り方があるのか」と驚く人も居るかもしれません。

また、言葉遊びやユーモアが散りばめられた作品でもあります。例えばホームズは、ある場所を『麻薬が蔓延る悪者のアジト』であるとワトソンに教えるのですが、それを説明する上でtrapという言葉を使います。そしてその後、「ほら、私たちの馬車がやってきた」と言う際にも、その馬車を示すためにtrapという言葉が用いられているのです。

僕が訳すときにも、このtrapのダブルミーニングをどう訳出するべきか迷いました。あなたなら、どう訳すでしょうか。

その他にも、『ある手掛かり』をホームズが見つけたときのホームズとワトソンのやり取りなど、思わずニヤリとするような場面がたくさんあります。洒落た会話を楽しみたいという人にも、この短編はぴったりなのです。

原文をいかにして読むか

前述したような言葉遊び、プロットの妙の他、短編としての長さもそれほどなくコンパクトであるところから、原文で読みやすい上に色々と発見もある短編であると言えます。アヘン窟という馴染みのない場所が出てきますが、それは『そういうものがあったのだ』と考えて読めばそれほど障害になるものではありません。

このような、短く取りかかりやすい上にプロットが素晴らしい短編については、とにかく楽しむことを重視して読むのが良いでしょう。分からない単語があっても当たり前と考え、どんどん先を読み進めていく。普通に本を読むのを楽しむ感覚で英語を読むことができるようになれば、かなりのレベルアップを経験したことになります。

その後で改めて知らない単語や文法のチェックをすることで、精読する機会を得ることもできます。面白い物語は、何度読んでも面白いままですから、きっと精読するのも辛くないでしょう。

シャーロキアンにとっての謎

そしてシャーロック・ホームズを読む上で忘れてはいけないのが、シャーロキアンとしての読み方です。何を隠そう本作には、多くのシャーロキアンが頭を悩ませる謎が含まれているのです。それは物語の冒頭で、ワトソンの妻が発したある一言。ワトソンの妻は、つまり自分の夫であるはずのワトソンを、『ジェームス』と呼ぶのです。

ワトソンはジョン・ワトソンであり、ジェームス・ワトソンではありません。そして、ワトソンがジェームスと呼ばれるのは、シリーズ全篇を通してもこの一回だけなのです。どうしてワトソンの妻は、自分の夫の名前を呼び間違えたのでしょうか。

もちろん、普通に考えればコナン・ドイルの不注意によるミスでしょう。事実、ジョン・ワトソンにはジェームス・ワトソンというモデルとなる人物が居て、同姓同名を避けるためにジョン・ワトソンとしたとされており、それならうっかりワトソンの名前をジェームスと書いてしまったとしても不思議というほどのことはありません。

しかしシャーロキアンは、シャーロック・ホームズが実在した人物であると考え、ジョン・ワトソンの手記の内容は実際にワトソンという人物によって書かれた記録であるとして物語の整合性を考えるファンです。それならば、ジョン・ワトソンがジェームス・ワトソンと呼ばれたことについても、必ず理由があるはずなのです。

例えば推理作家であるドロシー・L.・セイヤーズは、ワトソンのフルネームがジョン・H.・ワトソンであることに着目しました。このミドルネームであるHは、Hamish(ヘイミッシュ)を表しているのであり、これを英語読みでジェームスと読んだのであるとしています。これは、ジョンという名前がワトソンの妻の父親の死に関連するものであるからであるということで、一応納得のできる説として支持されているとか、いないとか。

あるいはもっと大胆な説としては、あのジェームス・モリアーティが関係しているという説もあり、色々と考察のしがいがあるポイントです。

あらゆるレベルで楽しめる短編

プロットも面白い、言葉遊びも面白い、そしてシャーロキアンとして考えるべき謎も提示されているという、楽しみがいのある本短編。まずは原文を読み、それから翻訳版を読みという形で長く楽しめる、秀逸な短編なのです。その面白さに嵌まったなら、きっとあなたの唇も歪むはず。ただしそれは、笑みという形で、ですが。

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堂本秋次

堂本秋次

実務翻訳者、プロマジシャン。英検1級、国連英検A級、TOEIC965を保有。大学時代は、ネイティブスピーカーの教授の指導のもと、言語学を専攻していた。医学、自然科学等を専門とする多芸多才な翻訳者。 詳しいプロフィール / 記事一覧

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