語学の才能は生まれつき?
私はふだん中学生をメインに教えていますが、以前小学生や幼児のクラスをお手伝いしていたこともあります。ある日、保護者の方に「英語を得意にするには、やっぱり小さいうちに始めないと無理ですよね?」という質問をされました。
「そんなことないですよ。私は中学校に入るまで、まったく英語を学んだことがありませんでした」と言ってみたのですが、「先生はきっと語学の才能があったから、それでもOKだったのでしょうね」と…。語学の才能って、何だろう…とそのとき思いました。
普通、才能といえば持って生まれた遺伝的要因などを指すことが多いです。しかし私の知る限り、自分の一族に語学堪能な人がいたという話は、聞いたことがありません。両親もいたって普通の、日本語しか話せない夫婦でした。それでも努力をすれば、一定のレベルに到達できるということは、経験上断言できます。
ただ、子供たちに教える仕事をしていると、学ぶスピードに差がある…と感じることはあります。「語学に対するセンス」の有無、とでもいったらよいでしょうか。
「語学に対するセンス」とは
「語学に対するセンス」とは、たとえば語彙の多さ、音への敏感さ、文字への興味など…言葉に関する好奇心や感受性といったものです。
「外国語を学ぶ際に、それが母語のレベルを超えるということはない」という話を聞いたことがあります。語彙力にしても、表現力にしても…確かに母語よりも外国語が上をいくというのは考えにくいですね。
ちなみに私は英検1級試験の語彙を勉強しているとき、「恣意的(しいてき)な」という意味の「arbitrary」という単語を覚えられずに苦労しました。「恣意(気まま、自分勝手)」という言葉そのものを知らなかったからです。母語で知らない言葉を、外国語で覚えるのは難しいと実感しました。
また、音に対する敏感さも、語学には大切だと感じます。日本語にない母音や子音の発音、イントネーションを聞きわけるためです。そして、文字に対する興味や、視覚的な認識能力も重要。アルファベットのbとdを区別できないとか、大文字小文字の区別がつかないと、読み書きの面では不利になります。
ちまたで「才能」と呼ばれるものは、実はこういった要素なのかもしれません。実際、英語嫌いの中学生には、上記のような面で弱点を抱えている子が多いように思います。
ですがこうした要素は、決して遺伝的・先天的にのみ獲得されるものでなく、教育によって後天的に伸ばしたり補ったりすることもできるはずです。発達段階・学習段階に応じてうまく導くことができれば、苦手な部分もカバーすることができるでしょう。
それなら早期教育が有効?
それなら、「語学のセンス」を身につけるのにやっぱり早期教育が必要?と思われる方もいるでしょう。
しかし、赤ちゃんのうちにせっせと単語やフレーズを教えこんでも、ふだんの生活で使わなければ、じきに忘れてしまうものです。英語教室のベビークラス通いを否定はしませんが、「早く英語を習わせないと手おくれに…」という焦りにも似た考えにはあまり賛成できません。
子どもが喜んで参加するならよいのですが、興味を示さないのに、「あとあと役に立つから」と“お勉強”的に強制するのは逆効果。下手をすると、かえって英語嫌いにさせてしまう場合もあります。
語学上達の秘訣は反復と継続です。嫌いにさせてしまっては、元も子もありません。レッスンを始める「早さ」より、「長く続ける」ことのほうが重要、と私は思います。
大切なのは、学びの底力
確かに、「語学のセンス」の有無で、人によって学びのスピードに差はあるでしょう。しかし学ぼうとする意欲と粘り強さがあれば、どんな「天賦の才」にも負けないはずです。
生まれつきの才能よりも、「こつこつ続けること」「失敗してもめげないこと」など、学びに対する“底力”があるかどうかが、実際には一番大切なのかもしれませんね。