編集長からかなり前にこのお題をいただき、なかなか文章にできないまま月日を浪費してしまいました…。学年を積み重ねた今、改めて思ったことをまとめてみます。
外国人にとっての「日本語マスター」、日本人にとっての「英語マスター」
「マスター」をどう定義するかは、人によってさまざまです。そもそも、来日する外国人には「俺、日本語めっちゃ知ってるぜ!(←ここまでは英語ないし母国語)スシ!テンプラ!アリガトーウ!!(ドヤ顔)」みたいな人も普通におられ、困った時(例えば道に迷った時)に当然のように英語で質問してくる人も多いです。
※先日も近所のバス乗り場が分からない外国人の方にも英語で話しかけられたばかり…。
最近は某Google Mapを片手に話しかけてもらえることが多いので、説明しやすくはなりましたけどね!
逆に日本人が英語を喋る環境(例えば、英語圏の国に滞在している時)に置かれた場合は、「Hamburger! Apple! Thank you!」で「めっちゃ英語知ってる!」と自分のことを紹介する人は少ない印象です。自分の意見を伝えたい時や不快感を相手に伝えたい時には、まずは英語やジェスチャーで伝えようとするなり、逆に黙って苦笑い・何といえば相手に伝わるか文章を組むために長考に入る傾向にあるような気がします。
追いうちで、自分より明らかに英語を上手く使いこなしている日本人が「私なんてまだまだ…」と謙遜してしまうのを見聞きしてしまうと、余計「英語マスター」なんてとてもとても…ということになってしまう。
そんな生真面目・謙遜文化が根付いた日本人が「英語マスター」を例え自称でも名乗る日というのは…、来ないんじゃないでしょうか、なんて(笑)
私個人の「英語マスター」の基準などを書いてみる
個人的には「自分の専門分野について英語で読み書き話して聞けて、海外で日常生活を問題なく過ごせる」のであれば、立派なマスターなんじゃない?と思っているのですが、専門分野の勉強(日本語での)すらままなっていない私が「英語マスター」を名乗るのはホントにかなり先のお話になってしまうように思います。
そういった意味では私個人の考えは『その本人が日本語でできることは全て英語でも同じようにできること(母国語同等レベル)が、英語をマスターしている状態』ということになりますね。
TOEIC高得点スコア保持者も、高スコアを取っていない側なり、職場の採用官なりから見ると「英語できる人」とみなしてしまいます。が、しかし、何回高スコアをとっても本人が自分の実力をどういう認識でみなしているか?はまた別の問題のような気がします。
あえて、私個人の考え方を押し通すならば、「帰国子女でも何でもない純正日本人に、英語をマスターしている人は存在するか?」となると「いる可能性が高い」(現に身の回りにいる医師の諸先輩方の多くは、帰国子女かどうかに関わらず英語で業務や日常生活をこなせるレベルの方々なので、該当しているように私からは見えます。)ということになるでしょう。
メディアに溢れる「英語」はマスターとどう関係するか考察してみた!
では、テレビの語学講座に出ているような先生は英語をマスターしているか、という話になると、「英語の授業を通して視聴者に英語を好きになってもらう/重要な項目を理解してもらう/よくやるミスがなぜミスなのかを分かりやすく説明する」等々、「教師」としてのスキル評価も併せて必要になってきます。
誰でもが視聴できる「テレビ」という環境を考慮すると、「英語マスターかどうか」よりは「教師としてのスキルが高いか/この先生の人となりや番組の雰囲気が性分にあうかどうか」等の方が重要な因子だと思います。
スマホやネット広告で「英語は簡単にマスターできる」と宣伝しているものが巷には溢れています。私の中では英語はあくまでもコミュニケーションツールのひとつであって、人それぞれ必要な能力やレベルは異なっているという認識です。ビジネス英語ができないと飯の食い上げになってしまう人とそうでない人がいるでしょうし、癌に関する遺伝子について英語でプレゼンテーションができて且つ質疑応答に答えられるようにならないとマスターじゃない!というのは違うと思うし、かといって英語で恋バナができるスキルが「マスター」には必要不可欠か?となるとそれも違うと思っています。
したがって、「英語は簡単にマスターできる」という広告がなされた教材でマスターできるかどうかは「わからない」というのが回答になってしまいますね。もしかしたら必要かもしれないし、そうでないかもしれないし。(そのどちらでもない「スカスカな商材」の可能性もありますが…)
いずれにせよ、英語を学習するにあたっては、「自分が英語を学んで何がしたいのか」を明確にすれば、無駄な買い物にひっかかることはなくなるのではないでしょうか(笑)